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高野與祖次郎『顯微鏡使用法』明治45年八版

高野與祖次郎(1874-?)『顯微鏡使用法』明治四十五年八版 明文堂刊
高野與祖次郎『顯微鏡使用法』明治45年八版(前半)
二十世紀の初め、横濱生絲檢査所の農業技術者が著した顯微鏡の実用解説書。基本的な仕組みから操作法、標本の作り方などに至るまでを懇切に説いている。かつて養蚕業は我が国の基幹産業のひとつだったが、原因不明の病気の蔓延で幼虫が全滅することが少なくなく、顕微鏡によりそれが微生物によるものであることが判ってからは人間の医療分野に先立って導入が進んだらしい。
国産顕微鏡が初めて商品化されたのは田中合名会社が明治四十年に発売した「田中式顯微鏡」
www.jaima.or.jp/resource/jp/heritage/pdf/heritage2013_Par...
だが、本書の出た当時は未だ精度の問題もあってドイツからの輸入品が市場を席捲していた。日本製が本格的に普及し始めるまでには、いわしや松本器械店が大正三年に売り出した「エム・カテラ顯微鏡」
www.jaima.or.jp/resource/jp/heritage/pdf/no52.pdf
の登場を待たねばならなかったそうで、この本にもドイツ製品の図や、その価格表のみが載っている。
高野與祖次郎『顯微鏡使用法』明治45年八版(後半)
なお、著者の高野については、国会図書館デジタルコレクションで公開されている太田源次郎『福島縣の政治家』でその半生が紹介されている。
dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1270215/19
横濱生絲檢査所の後は招聘されてシャム(タイ)へ技術指導に行き、九年間も滞在の後帰国して地元の農業学校で教鞭を執り、終いには村長や県会議員にもなっている由。歿年は判っていないようだが、この本の版元である帝都日日新聞を丹念に調べていけば出てきそうな気はする。
版元の明文堂と経営者の周防初次郎のことについては、『東京書籍商組合史及組合員概歴』に簡単に載っている
dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/949275/113
が、農業専門の出版社だったようだ。巻末広告をみると、養蚕技術関連書を相当数出していたことが知れるが、本書に限っては医療関係者にも需要があったため、かなり売れ筋だったと思われる。


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